為書(檄ビラ・必勝ポスター)の印刷と配送は「直送!為書き屋」へ。選挙事務所へ直接お届け

メディアとリテラシー

  2022年8月22日 カテゴリ:コラム


為書きに注目していただけましたか?

 7月に行われた2022年の参院選。各候補の選挙事務所には今回も数多くの為書きが貼られ、「この人はこの人と付き合いがあるんだ」など、期間中、一種の社交場となる選挙事務所では、為書きをネタに、支援者の話に花が咲いたことと思います。
 選挙の結果は与党、自民党の圧勝。改憲勢力は野党も含めて2分の3を確保し、選挙の熱は本来なら改憲前のクールダウンモードに入っているはずでした。しかし、圧勝したはずの岸田政権の足元が揺らいでいます。各紙の世論調査では支持率が思ったほど伸びず、選挙直後にも関わらず、政権には内閣改造で少しでも支持率回復を図ろうとする意図が見えます。

希薄になっている宗教との関わり

 政権の不安定要素のひとつになっているのは、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と政治の関係です。参院選直前に起きた安倍元首相の銃撃事件で、この宗教団体が改めてクローズアップされました。
 憲法では、個人に「信教の自由」を保証している一方、国家には政教分離を定めています。現在のところ、政治家個人とこの宗教との関係性は一定露呈していますが、具体の政治判断にまで何かしらの影響を及ぼしたかどうかということについては確証が得られていません。
 ところで現代の日本では、かつての日本ほど宗教に影響を受けていることは少ないはずです。お正月などに神社にお参りすること、または、お墓やお仏壇に手を合わせご先祖さまに感謝することも、私たちにとっては一種の宗教的行事ですが、こうした行事を「しきたり」として行っている人も少なくなっているのではないでしょうか。ある宮司さんは、「参拝がファッション化している」と嘆いておられました。それほど現代の日本人には、日常生活に宗教が入り込むことが少なくなっており、宗教について考える機会も同時に失われていると思うのです。

メディアのシャワーを一斉に浴びる危険

 そうした中で今回お伝えしたいのは、この問題に見られるように、メディアのシャワーを一方的に浴びる危険性です。大きな事件や話題が起きた時、メディアはどうしているか。少し思い返してください。
 朝夕の報道ニュースはもちろん、特にワイドショーでは、まるで世の中がこの問題しかないかのような一斉報道をしています。例えば今回のような政治と宗教の問題を考えるときは、現代の生活と宗教との関わりについて、または私たち日本人が伝統的に持っている宗教との関わりについて広義に考えるべきだと思いますが、特定の宗教を「悪」、そこと付き合いのある政治もグレー、このような単一的な報道の仕方は、本来、公益的な活動をしている他の宗教団体にも影響を与えかねないものだと感じています。宗教について考える機会を失っている現代生活では特にそう思います。メディアのシャワーを一方的に浴び続けることは、人々の意見がある方向に一斉に傾く危険性もはらんでいることも忘れないでほしいと思うのです。

大切なのはリテラシー

 情報社会、テレビなどの一斉報道などから自分を守るために大切なことはリテラシーです。リテラシーとは、本来「読み書きの能力」を指す言葉だとされていますが、現代では「情報を適切に理解、解釈すること」として用いられています。つまり、自分の中でいったん咀嚼(そしゃく)し、自分なりの意見を持つことです。誰かに言われたから直ちに「そうだ」と思うのではなく、「自分ならこう考える」と思うことです。誰かの意見に賛同することは悪いことではありませんが、それはあくまで、自分なりに考えた結論の先にあることです。そこに圧力や誘導があってはなりません。
 今後も政治と宗教の問題が落ち着いた後でも、何か大きな出来事があればメディアは一斉報道を始めるでしょう。そんな時、リテラシーの力を意識していれば、メディアのシャワーを受け流す、またはしっかり思考することができると思います。

↑